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第6話 SかMかの勘違い

  晩飯の後、俺は一人部屋にこもって、空の手首について考えていた。あれはどう考えても、そういうプレイ以外で付く痣じゃないよなぁ。どういうことだ? 空にはそういう相手がいるのか?
「しかし、気づいたからと言ってなにかできるわけじゃないし……」
 そもそも、別にいけないことではないのだ。俺がなんか嫌な気持ちになっているだけで、止める権利はない。
 頭を抱え悩んでいると、ドアがノックされる。俺はどうぞ、と返事をする。ドアを開け入ってきたのは、ルビィだった。
「龍海ー。悪いんだけど、授業のノート……なんか顔色悪いわね」
 片眉を上げ、怪訝そうな表情をするルビィ。話すべきか迷って、結局話すことにした。こいつにも妹はいるし、アドバイス貰えるかも。
「悪いルビィ。相談があるんだけど」
「は? ……別にいいけど」
 そう言って、ルビィはなぜかちょっと迷ってから俺のベットに腰を下ろす。ヤツはパジャマ姿で肌がほんのり赤い所を見るに、風呂上がりなのだろう。
「……実は、空の手首にちょっと」
 ……どう言おう。何かを強く結びつけた様な痣があるんだ。SMの痕かなぁ、と言うのもなんかちょっと、空も恥ずかしいだろうし。俺がそんな風に悩んでいると、ルビィはいきなり深刻な顔で「……もしかして」と手首を指差す。ルビィも見たのか。
「そう。痛々しくて見てられなかったんだわ」
「……痛くないのかしら?」
「それがいいんだろ」
「私にはわからない世界だわ……。血が凄く出そうだし」
「えっ。そんなハードなことまですんの!?」
 空、そこまでのことをしてるのかよ……。親からもらった体をなんだと思ってるんだ。
「何か悩みでもあるのかしらね……。自分の体傷つけるって、相当なことでしょ」
「そうだよな……。やめるように言った方がいいかな」
「でも下手に刺激して、エスカレートさせても……」
「エ、エスカレート?」
「そう。手首に傷跡作るだけじゃなくて、本当に自殺を図るかも……」
「ま、まさか空に限って……」
「いや、私もスフィアがあんな風になるとは思ってなかったし……」
「そ、それを言われてしまうと……」
 そうなんだよなぁ。もう俺にはどうしたらいいかわからん。母さんに相談するのはいいが、家族会議とかになっても傷つけるだけだし。
「妹を持つと面倒よね。私の妹なんて……あぁ」
 深い深いため息を吐くルビィ。その心情は重たい物だろう。妹に血の繋がらない異性から受け取るはずの愛情を押し付けられそうになっているのだ。その辛さは計り知れない。
「でもまあ、うん。空にも悩みがあるんでしょう。自殺したくなるほどのさ。それを聞いてあげるのも、兄の勤めってやつでしょ」
「……はあ? 誰が自殺だって?」
「へ? 誰って、空の手首に傷跡があるって」
「いや、そういうんじゃなくて。なんか巻きつけたような跡があるだけ、なんだけど……」
 一瞬ポカンとなるルビィ。そしてすぐにどこからかハリセンを取り出して立ち上がり、俺の頭を叩いた。
「いってえ!」頭を押え、ルビィに抗議する俺。だがルビィの表情は確実に怒っているのか、俺の抗議に聞き耳は持っていないらしい。
「え、じゃあなに。あんたは空がなにしてると思って心配してたわけ?」
「え、や、SM……」
「馬鹿なの!? 確かにちょっと心配はするでしょうけど、それは別にいいじゃない! 私はてっきり、空がリストカットしてるのかと思ってたわよ……」
「なんでそうなる!?」
「だって手首とか言うから……」
 なるほど。互いに、SMとリストカットで勘違いしてたわけね。しかし見事に噛み合ったな。あるんだなこういうこと。
 あれ? だったら、あなたが話を聞かないから勘違いしたんであって、俺が悪いんじゃなくねえ?
「で? 何か巻きつけた跡、だっけ?」
 ルビィはアゴに手を当てて、天井を見上げて何かを考える。ちょっと不安を感じるんですが。
「ま、もしかしたら自傷癖があるのかもしれないけどね。……しょうがない。私が一肌脱ぐわ」
「は?」
 そう言って、無言で部屋を出て行くルビィ。……一肌脱ぐ、ってなに?

  ■


 龍海の部屋を出たルビィは、空の部屋の扉をノックした。中から「はい?」と声がし、「ルビィです」と猫を被る。
「あ、ルビィさん……どうぞ」
 ドアノブを捻って押すと、龍海の部屋に似た内装の部屋があった。ベット、本棚にテレビなど。内装は少女らしく、小物が多い。ルビィは空の手首を見て、龍海の言っていた痣を確認する。確かに、相当な力で巻き付けないと、こうはならないだろう。
「……空さん。その手首」
「へ? ……あ、これは」
「龍海さん。その手首を見て心配してましたよ」
 申し訳なさそうに俯く空。ルビィは肩に手を置き、しばらくそのままじっと待つ。
「……私に事情を話す義理はないけど、龍海さんには話しておいた方がいいと思いますよ? とても心配していたみたいですし」
「……」
 なにも言わない空。何か言えないことなのだろうか、とルビィは頭を回す。龍海の言うSMも、確かに言い辛いことではあるが、兄に心配しないでと言う程度なら簡単なはず。空は兄に絶大な信頼を寄せている。そんな兄にも言えない事情とは何か。しかし、今考えてもわからないこと。
「じゃ、確かに伝えましたから」
 気にはなるが、あまり家族間の問題に首を突っ込むのも野暮だろうと、ルビィは空の部屋を出て、龍海の部屋へ戻り、ノックして返事も待たず、頭だけを隙間から出す。
「空、どうだった?」
 心配そうな面持ちで、縋る様にルビィを見る龍海。よほど妹が心配なのかと苦笑しながらも「まぁ、あんた位には事情話す様言っておいたから、後はあの子しだいかしらね」
「そ、そうか」ホッとため息を吐き「ありがとう、ルビィ」と頭を下げる龍海。そんな龍海に、一瞬胸が高鳴り、顔が熱くなる。感謝されるのも悪くはないかな、とルビィは黙ってドアを閉め自分の部屋へ戻った。


  ■


「う、らぁぁぁぁぁぁッ!!」
 スフィアはウィップサファイアを振り回し、暴れていた。宮殿は半壊し、壁には穴。柱は折れて周りは瓦礫で埋まっている。ジミーとジャニスは、そんな光景を見て震えていた。ジャニスはジミーの背に隠れ、震えている。魔法ですぐに直るとはいえ、その魔力は結局自分が出すのだろう、とジミーは辟易してしまう。
「ね、ねえジミーおじさん……す、すスフィア様、どうしたの……?」
「あー。どこかの誰かにボロ負けしたのさ……。それを、プライドが許さなかったんだろ」
 多分、俺に助けられたことも起因の一つだろう、と悩むジミー。暴れている様子を見る限り、助けなくても大丈夫だったんじゃないかなぁとも思う。回復魔法でそこそこ回復したとは言っても、まだまだ全快ではない。
「ジミー!!」
「は、はいっ!?」
 いきなり呼ばれ、立ち上がる。ジャニスの頭を撫でて「ちょっと待っててくれな」とスフィアの元に駆け足。
「お、お呼びですかっ!?」
「呼びましたわ。……あなた、物理的魔法が得意でしたわね?」
 目が座っているスフィア。過去のお仕置きが目蓋を過ぎる。助けたのにお仕置きって、理不尽すぎねえ!? と内心で叫ぶ。
「え、ええ。基本的には、空気を扱った魔法ですが……」
「癪ですが、ジュエルスドラゴンと戦うには、あなたの協力が必要らしいので。明日、私についてきなさい」
「……それって、明日、あのジュエルスドラゴンと戦えって事でしょうか……?」
 頷くスフィア。先ほどはあんな風に助けられたが、正直まぐれな気がしてならないジミー。
「もし断ったら、いいと言うまで『アレ』をしますわよ」
「アレってどれですか!?」
 心当たりがありすぎてわからないジミー。しかし、お仕置きされるくらいならジュエルスドラゴンを相手にした方がいい様な気もする事実。
「……わかりました、やらせていただきます……」
 気づけば、彼の答えはイエスだった。


  ■


 翌日、俺はなんとなく空と顔を合わせ辛くなっていたので、朝から街へ繰り出していた。適当に時間を潰して、空が話をまとめるまで待つつもりでいるのだが……言い訳もいいとこか。
「……さて、どうしようかな」
 正直な話、やることがない。ただ暇を持て余しているだけな気がする。
 気の向くままに足を動かしてはいるのだが、そんなのもあと十分くらいで飽きて、家に引き返してしまいそうになる俺がいる。
 まあ、別に家に帰ってもいいんだけどさ。……ルビィ連れてくればよかったなあ。もしくは比叡でも呼ぶか、とケータイを取り出し、画面を見ながら曲がり角を曲がる。よそ見していたせいで、誰かにぶつかってしまった。
「おっと、すいません」
 軽く頭を下げ、その人物と目があった。青い髪に深いスリットが入ったチャイナドレス。ご存知、サファイア・アンクリムさんだった。
「――っな!」
 なんでこいつがここにいるんだよ!?
 慌てる俺だったが、スフィアは何故か恭しく頭を下げた。
「申し訳ございません。私、ちょっとよそ見をしていたもので……」
 あ、あれ? なんで俺に対してノーリアクションなんだろう。
 一瞬頭がフリーズしてしまうが、俺はハムスターの姿でしかスフィアと会った事がなかったんだった。
 よかった。三味線にされる所だった。
「や、こっちこそよそ見してて、すいません」
 これは家に帰ってルビィに報告しよう。踵を返そうとしたところで「あ、ちょっとすいません」と呼び止められる。やべえ、バレたか?
「青いソフトモヒカンの男を見かけませんでした? 黒い革のジャケットを着た、似非ロックンローラーなんですけど」
「え」ジミーまでいんの!? 何しに来てんだよお前ら!?「いやー、ちょっと見てないですね」
「そうですか……。困りましたわ、どうしましょう」
「……その人と、はぐれちゃったんですか」
「ええ。ちょっと用事があって」
「お困りでしょう」
「ええ、とっても。――あ、そうだ。あなた、一緒に探してくれませんか?」
「なんで!?」
「困っているレディを見過ごすつもりですの? この国の男性は、女性に優しいと聞きました」
 畜生! 異界人のクセに外国人みたいなこといいやがって!
 俺一回、人間の姿でジミーと会ってるんだよ! 絶対バレんじゃん!
 ……しかし待てよ? 今この状況、スフィアは油断している。俺一人で、なんとかウィップサファイアを奪えないだろうか?
「わかりました。暇だし、探しますよ」
「本当ですの?」
「まあ、外国の方を一人ほっぽり出すのも、後味悪いですし」
 ぱっと表情を輝かせるスフィア。「ちなみに、私はサファイア・アンクリムといいます。スフィアとお呼びください。あなたは?」
「村雨龍海です。龍海でいいです。……ちなみに、その人とはどういう関係で?」
「部下ですの。私の親衛隊の一番隊隊長を務めている男なんですわ。名前はジミー・ヘンエクス」
「へー。そうなんですかー」と俺はノーリアクションを貫く。ルビィと知り合う前だったら、妄想ですね、わかります状態だったんだろうが。
 今は自分の体の中にガイアモンドが入っちゃってる状態だからなー。俺も半ファンタジーの住人状態。
 早く吐き出したい衝動に駆られつつも、俺とスフィアは歩き出した。どうでもいいけど、なんやかんや言って人を従えるところは、ルビィとそっくりだ。
 俺たちが向かった場所は、繁華街。ショッピングモール、ハピモアに向かうためだ。ジミーがよほどの馬鹿でないかぎり、自分が知っている場所を起点に行動をするはず。これなら早く面倒から開放されるだろうし、仮にウィップサファイアが奪えたら人ごみにまぎれて逃げるのも簡単だろうと思ったので。
「あの、龍海さん? なぜこっちに来たんですの?」
「へ? ――いや、人がたくさんいるところにいるんじゃないかな、って思ったんです。でも、探すのも疲れますよね」
「ですわね……。私も、ちょっと人ごみは苦手ですの」
 そう言って、スフィアは首を動かし辺りをきょろきょろと確認する。
 確かに、スフィアは容姿と格好から悪目立ちしてしまっているのだ。辺りの男共の視線が酷い。ていうか、男って胸と足しか見てねえな。初めて女性の立場に立った感じ。見てるとバレるんだな。俺もあまり見るのはやめておこう。
「……しょうがない。スフィアさん、どこかお店にでも入りましょうか」
 俺はスフィアの手を取って、近くのコーヒー専門のチェーン店へと向かう。後ろで「え、あ」とスフィアがうろたえているのもわかったが、この状況では仕方ないだろう。俺だって目立ってしまうのだ。
 コーヒー店に入ると、よく分からない横文字のメニューから適当に二つ(キャラメルモカマキアート!?)を注文し、サイズ注文に手間取り(STGVってなんだよ!)なんとか奥の人目につかない席にやってきた。
「あー、疲れた」
 わかりづらいんだよなあ、この店って。だからできるだけ入りたくないんだけど。
 ぽかんとしているスフィアを差し置いて、俺はコーヒーを飲む。甘ったるい。失敗したなあ。
 甘ったるいのはマックスコーヒーだけで充分だ。
「すいません龍海さん、お金、払います」
「あーいいですよ別に。これくらいなら」
 どうせこいつの財布の中も松方弘樹並になっているのだ。
 そんなもん見せられると、心臓に悪くてしょうがない。
「ふふ。紳士ですわね、龍海さん」
「そんなことはないですよ。――女性の手を取って、無理矢理店に入っちゃったみたいなもんなんで」
「あら、ナンパでしたの?」
「違いますって」
 もう一口コーヒーで唇を濡らす。スフィアの艶っぽい濡れた視線に、酷く心臓が鼓動を打つ。


 もともと結構タイプな女性なのだ。今のこの状況、浮き足立ってもしかたがあるまい。
「あ、所で龍海さん。もう一人、探し人がいるんですけど」
「……多分知らないと思いますよ?」
 恐らくはルビィだろう。間違っても、我が家にいるなんて漏らしてはいけない。我が家が戦場になってしまう。
「ま、それでも一応は。紫色のゴシックロリータドレスを着た少女なんですけれど」
「知らないですねえ」
 ルビィじゃないのか。じゃあ、それ誰なんだろう。
 スフィアはコーヒーを口に運び、上品に喉を動かす。その味を気に入ったのか、しばらく余韻に浸っていると、突然口を開く。
「手首に、何かを巻きつけた跡があると思うんですけど、知りませんか?」
「……何かを巻きつけた、跡?」
 それって、確か空に有ったよな……?
 じゃあもしかして、スフィアが探している少女って、空か!?
 なんで空がスフィアに探されているんだ? どちらにせよ、空は今ウチに居るだろう。口を割る訳にはいかない。俺は動揺を隠して「思い当たりません」と首を振る。
「そうですか、残念ですわ……」
「すいません。協力できず」
「いえ、構いませんわ。そうそう話が上手くいくわけもありませんし……」
 互いに頭を下げ、なんとなくいたたまれない空気になった所で、俺はふと窓の外を見る。
 その時、外で似非ロッカーがきょろきょろしているのが見えた。
「あの、スフィアさん? あの人が探してた人じゃないですか?」
「え、あ。本当ですわ。すいません龍海さん、では私この辺りで失礼します」
 丁寧に頭を下げ、スフィアは店から出て行った。その背中を見送りながら、俺はコーヒーを飲み糖分で頭を回す。
 恐らく、スフィアが探していたゴスロリの少女とは空の事だろう。なぜ空が、ゴスロリを着てスフィアと会っていたんだろう。


  ■

 スフィアはジミーを見つけると、駆け寄って「ジミー」と背中を叩く。
「あ、スフィア様。どこ行ってたんですか? 俺が楽器屋で試し弾きしてる時に……」
「勝手にそんなことしているからですわ。もう今日は疲れました。帰りましょう」
「へ? あ、そうですか」
 ほっとため息を吐くジミー。よほどジュエルスドラゴンと戦いたくなかったのだろう。
 まあ、どうせいつか戦うのだし、とそんなジミーを嘲笑うスフィア。
「ところで、よく俺を見つけられましたねスフィア様」
「ええ。素敵な殿方に案内していただいたんですの。コーヒーも奢っていただきました」
「男の好みにうるさいスフィア様が、素敵なって……。どんな男でした?」
 スフィアは、先程出会った青年の顔を思い出す。まだ少年のあどけなさを残す顔立ちだが、将来が有望な紳士的な青年だった。
「確か、村雨龍海といっていましたわ。……あの殿方、ルビィお姉さまと一緒に、私の婿にしようかしら」
 ぽつりと呟くスフィア。ジミーはその言葉を聞いて、目を丸くする。
 どれだけいい男だったんだよ、という意味で。

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