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第9話『ニューフェイスです』


静かな教室に、華のうめき声が響く。
 教室の端で、いつものように居残り部の四人とえんぴつで集まっていたが、華だけは楽しくだべるというわけには行かない理由があった。授業態度がどうにも芳しくない華は(寝てるか騒いでるか)、担任教師から怒りを買ってしまい、課題を出されたというわけだ。
「ちくしょー。あの先生、私のこと嫌いなんじゃないかなぁ。こんな量の課題を愛しい生徒に出さないよなぁ」
 シャーペンで課題プリント相手に戦っていると、華の机の上にえんぴつが乗ってきて、そのプリンとをじっと見つめる。
「んだよえんぴつー。邪魔すんなよー……。私は今、悪の教師と戦ってるんだよー」
 華は髪をわしゃわしゃと掻き乱し、力ない声でえんぴつを咎めるが、えんぴつはそんなの意にも介さず、「ぐわー」と呟いた。
「『その問は3xだ』だってさ」
「うぇぇ!?」
 いきなりえんぴつから正当が出たことに驚いたらしい華は、プリントをマジマジと見つめるも、華にはそれが本当にあっているかわからないらしく、横から覗き込んだ甘利が暗算し、「あってる……」と目を丸くしていた。
「え、えんぴつすごいな!」
 甘利は驚愕の目を、そのままプリントからえんぴつへと向けた。えんぴつって頭いいなー。教えた覚えはないのだけれど。……あんこちゃんが仕込んだのかな。どれだけ暇なんだ。
「もしかして、居残り部で一番スペックが高いのってえんぴつかぁ? ……勉強、頑張らないとなあ」



 えんぴつに教えられたことが少しばかりショックだったのか、華はシャーペンを握り直し、課題のプリントから空白を削っていく。甘利やえんぴつの助けもあって、課題をなんとか終えることができた。
「よっしゃーオールクリア! みんなのおかげよありがとー!」
 万歳をして、プリントを投げ捨てる華。ひらひらと舞いながら、机の上に落ちるプリントを眺めながら、華はふうっと気持ちよさそうにため息を吐いた。一仕事終えたような満足感だ。お疲れ様。
「さって、それじゃ、本日の居残り部の活動を発表するぞー! 聞け野郎ども!」
 いきいきしてきた華は、立ち上がって胸を張り、教室が揺れんばかりの大声で叫んだ。ここに野郎はいない、というツッコミは野暮なのでしません。
「居残り部はもともと、私のハーレムということで創設したものなのだが、如何せん人数が少ない。そこで、新入部員を集おうじゃないかと思うのですよ!」
「ハーレムって。そんな忘れ去られた初期設定に誰も興味なんてないわよ」
 甘利はコーヒーを飲み、組んでいた足を組み直すと、冷ややかな目で華を見つめる。だいたい私達も、ハーレム要員としてこの場にいるわけではないので、もはやそんな初期設定(実際初期には明かされてすらいなかったけど!)は知ったことじゃなかった。
「釣れないことを言うなよ愛人二号」と、ニヤニヤしながら、華は甘利の肩を叩いた。


「なにそのすごい侮蔑的な言葉! 愛人になった覚えはないんですけど!」
 一応解説しておくと、二号というのは多分、入部順の話だ。私が一号、甘利が二号。風和が三号なんだろう。
「まあとにかく、今の私には、ぜひとも狙いたい子がいるってこと!」
「ということは、どなたかを勧誘するんですか?」
 風和が首を傾げると、華は顎を撫でながら、その勧誘したいという子の名前を口にした。
「沖田奏。クラスメートだ!」
「ああ。沖田さん」
 沖田奏さん。私達のクラス、二年B組の学友。いつも一人で居て、大きなヘッドホンをして、周りを寄せ付けない雰囲気を発している。中性的な顔立ちの綺麗な人で、しかも地毛で銀髪なものだから、どうにも目立つ。まるで普通の教室に大きな岩が鎮座しているような感じだ。
「きれいだよねえあの人。え、なに、沖田さんを居残り部に引き入れる気? 無理なんじゃないかなぁ……」
 私が頭の中で想像する沖田さんは、どうにも『居残り部に入ろうぜ! 活動? 放課後の教室でわいわいやるだけだけど!』なんて言って、頷いてくれる人とは思えない。喋ったこと無いけど、クールな人っぽいし。
「私に口説けない女はいない!」
 自信満々に言い張っている華だけど、ここにいる三人は口説けていないということを忘れてはいけない。
「っというわけで、沖田ちゃん口説きに行くぞ!」
「口説きに行くのはいいけどさあ。沖田さんがどこに居るかわかってるわけ?」
 もはや呆れて説得もしんどいらしい甘利は、ため息混じりに言って、風和にコーヒーのおかわりを要求する。風和がコーヒーを淹れるのを見ながら、甘利は華の言葉に耳を傾けていた。
「沖田さんは学校が終わってもすぐ帰らないタイプなんだよねえ。もちろん、居所は調査済み。中庭で音楽聞いて、ジュース飲みながらボーッとしてるよ」
「ふぅん。まあ、クラス委員長として、クラスに馴染めてない沖田さんをなんとか馴染ませるのはやぶさかじゃないけど」
「もし仲良くなれたら素敵ですものね。誘ってみましょう」
 小さく手を叩き、ニコニコと太陽みたいに笑ってみせる風和。それを合図に、華はは立ち上がると、「待ってろ子猫ちゃん候補!」と教室から出て行った。子猫ちゃん候補、って。私たちは子猫ちゃんって華の中で呼ばれてるの? 絶対人前で呼ばないでね。


 まあ、そんなわけで、十分くらいした後。
 私達は三人だけで、ドラマやら最近の音楽やらの話をしながら、お茶会を楽しんでいると、教室の扉が開いて華と沖田さんが入ってきた。
「おまったせー!」
 沖田さんの手を握って、教室に入ってきた華は、妙にハイテンションだった。
「……いったいなんなんだい? ボクになにか用があるのかな」
 銀髪のショートカットに丸く、蒼い瞳。白い肌は皮膚の下にある血管が透けて見えそうなほどだ。首にかかった赤い大きなヘッドホンと、首にぶら下がっているだけのゆるく締められ制服のリボンと、黒のパンスト。細身でスタイルが良く、中性的な顔立ちをしているから、美青年にも見える。
「安藤さんに、薬師寺さんに、間直さん? ――さっぱり状況が読めないんだが、説明は誰がしてくれるんだい?」
 困惑しながら、私達四人を見る沖田さん。そこに甘利が手を挙げ、「私が説明するわ」と説明役を買って出る。
「私たちは居残り部。正式名称は放課後居残りクラブ。まあ要するに、放課後居残って駄弁るだけの部活、ってこと」
「ふうん? なるほどね。それにボクも入れ、って言ってるんだね?」
「そういうことね」
 甘利は、華に目配せして、そういうことでいいのよね? と確認を取る。それに頷いて、華は沖田さんの肩を叩いた。
「沖田ちゃん。いや、奏! 居残り部に入れ!」
「いきなりそんなことを言われてもね……。見学からでいいかい? それで入るか決めさせてもらうよ」





「オーケー! じゃあ仮入部ってことで!」
 華は近くの席から椅子を持ってきて、それを沖田さんに差し出した。私たちの輪に沖田さんが加わって、居残り部のメンバーが五人になる。
「同じクラスだけど、みんなと話したことはなかったね。一応、改めて自己紹介。ボクは沖田奏。部活には入っていない」
 自己紹介を済ませると、沖田さんはきょろきょろと辺りを見回し、えんぴつを発見した。
「なぜこんな所にペンギンが……」目を丸くする沖田さん。もう見慣れてきたけれど、確かに学校にペンギンがいるのって変だよなあ……。
「私のペットなんだ。名前はえんぴつっていうの」
「へえ。ペンギンってペットで飼えるのかい? 結構手間がかかるって聞くけど」
「いや、えんぴつはあんまり手間かからないの。一人で勝手にいろいろするし」
「そう。高校レベルの数学なら解けるレベルで賢いのよ」
 話に割り込んできた甘利だが、そんな甘利を見て、沖田さんは吹き出す様に笑った。

「あははははッ! ペンギンがそんなのできるわけないじゃないか! 間直さんはジョークがうまいなあ」
 いや、ホントなんだよね。えんぴつもナメられていることがすこしばかり不満なのか、「ぐあー……」と沖田さんを睨んでいる。しかし沖田さんはその視線にどんな意味がこもっているとも知らないで、えんぴつの頭を優しく撫でた。
「あ、沖田さん。飲み物、何かいかがですか?」
 緊張しているかもしれない沖田さんを気遣って、風和がいつもより優しい笑顔を見せた。しかし彼女、沖田さんは、余裕の微笑み返し。
「ジュースでもあれば」
「もちろんありますよ。なにがいいですか?」
「コーラで」
 風和は足元に置かれたミニ冷蔵庫から、五百ミリリットルのペットボトルに入ったコーラを、沖田さんに手渡した。ぷしゅっ、と勢いよく抜ける空気の音が教室に響いた。なんか、普通に私の部屋より居心地よくなってないかな。ここ学校の教室だよね?
「しかし、君たちはなんだ。ここに住んでるのかい? 妙に充実してる気がするんだけれど」
「住んでるってわけじゃないけど、まあここが部室だし」
 華が腕を広げ、周りを見ろと促す。
 電気ケトル、ミニ冷蔵庫、お菓子袋に、甘利が持ち込んだ本。風和が持ってきたポータブルDVDプレイヤー(これでゲームもできる)。いざとなったらここに住むことさえ、本当に可能なのだ。
 おかげでこの教室の窓側一番後ろ(華の席)は、まるで誰かの自室みたいな雰囲気を持っている。有り体に言って、ちょっと汚い。
「ボクみたいな新入りが言うのもなんだけど、専用の部室を持ったほうがいいんじゃないのかい? 部室棟にいくつか部屋余ってるだろう?」
「やー、だって別になにか活動してるわけじゃないしなあ……」
 腕を組んで、華は渋い顔をする。そもそも、この部活は立地の悪い学校で遊びに行くのが大変だから、学校で遊んじゃおうっていう目的だし(華的にはハーレムが本音だけど)。
「軽音楽部が音楽室使ってるし、茶道部が和室使ってるし……」
「当たり前の話じゃないか。ここは軽音部か茶道部だったのかい?」
 困った風に言う華と、首を傾げる沖田さん。
 ここに、アニメ知識のある人間とない人間の差が生まれるのである。
「でもまあ、お茶しながら話すだけっていうのは、少しだけ茶道部寄りかもしれないが。しかしそれだけで和室をくれるとは思えないなあ」
 真面目に考えなくていいですよ沖田さん!
 華がちょっとアニメに影響されてるだけですから!
「はいはいはいはい! アホの話は置いといて!」
 手を叩き、大きな音を鳴らして、話しを遮る甘利を、華が睨む。しかしそんな視線も手慣れた無視で、話を進行する。
「沖田さん、趣味とか、特技とか、いろいろ教えてちょうだい」
「ん。了解した」すくっと立ち上がり、わざとらしい咳払い。
「改めて、沖田奏だ。好きなモノはジュースと野菜。嫌いなものは動物性たんぱく質だ」
「動物性たんぱく質が嫌いって?」
 嫌いなものでたんぱく質という言葉を聞くとは思わなかった。なので一瞬ボケかと思ったが、彼女の真面目な顔でそうではないとわかり、通常の質問テンションに落として尋ねた。
「ボクはベジタリアンなんだ。肉や魚は食べない」
「へー……」ベジタリアンという人を見たことがなかったので、なんだが芸能人に会った時のような感動があった。都市伝説だと思っていたもので。
「ちなみに、趣味はジュースカクテル作りだ」
「え、あのドリンクバーでやるやつ?」
「ああ。最近凝っててね」と、照れくさそうに頭を掻く奏さん。
「でしたら、なにか作ってみますか? ジュースはいっぱいありますよ」
 風和がミニ冷蔵庫を開くと、そこには所狭しとペットボトルが収められていた。それを見て、沖田さんはニヤリと笑い、「了解だ」と冷蔵庫に歩み寄る。
「じゃあ、まず小手調べに……」
 彼女は、牛乳とサイダーを取り出し、紙コップに同量ほど注いで、どこから取り出したのか、スティックで混ぜる。するとあら不思議。見た目牛乳だけど、シュワシュワ言ってる不思議飲み物の出来上がり。
「牛乳サイダー。會館フィズなんていうのもあるくらいだから、牛乳と炭酸は合うんじゃないかと思って」
 と、解説してくれる沖田さん。(後日聞いたら、會館フィズっていう牛乳を使ったカクテルがあるんだそうです)
 その牛乳サイダーを、華が恐る恐る手に取り、一口。
「ん、美味しい! 牛乳の味がソーダの甘さを引き立たさせるねー」
 にっこりと笑顔になり、そんな華の手から、甘利が紙コップを奪って、飲む。
「おお。これはたしかに。ある意味完璧だわ」
「美味しいです。私、サイダーって初めて飲みました」
 風和は若干ズレた事を言ってる……。これでサイダーデビューって、ある意味すごい。
 私も風和から受け取って、牛乳サイダーを一口。おお、牛乳がシュワーってする不思議な感じがちょっとやみつきになりそう。
「好評なようでなによりだ」
「かっこいいー! バーテンダーっぽい!」
 拍手したあと、すごいスピードで沖田さんの手を握る華。
「ご要望とあれば、もうひとつ作ろうか」
「「お願いしまーす」」
 声が揃った居残り部。四人長い間一緒にいるけれど、意見が揃うことはなかなか無い。二対二で割れるか、それとも四人がそれぞれバラバラになるかだ。
「じゃあ、ちょっとお遊びだ。ブラインドテイスティングしてみないかい?」
「ブラ……?」
 意味がわからないらしい華は、アホの子みたいな表情で甘利を見つめる。
「見ないで何が入ってるか当てろ、ってことよ」
「はー! 面白そうじゃん。やるやる」
 勢い勇んでまぶたを閉じる華に引きずられ、私達残りの三人も目を閉じる。コポコポと何かが注がれる音が静かな教室の中に響いて、心臓の鼓動も聞こえてくるほどだった。
「さて、手を出しておくれ」
 沖田さんに言われ、手を出すと、そこに紙コップが握らされた。冷たい。
「じゃ、一気に行ってくれ」
 私は覚悟を決めて、紙コップに口をつけ、一気に口の中へ流した。
 その瞬間、まるで湿布薬のような風味と、炭酸の刺激が口いっぱいに広がって、私の味覚はそれを目一杯拒絶した。
「うぶ……!?」
 吐き出しそうになって、こらえて、ちょっとだけ口の端から漏れてしまった。
 しかし吐き出すわけにもいかず、私は慌てて飲み込んだ。目を開けてみれば、どうやら華と甘利も似たような状況らしく、苦しそうな顔をしていた。
「クックック……!」笑いをこらえているらしい笑い声。見れば、沖田さんが口の前に拳をやり、俯いて笑っていた。
「ごめんごめん。それ、ドクターペッパーなんだ」
「ど、ドクペをこんな飲ませ方するって、殺す気かぁ!」
 私が喉にドクペ入って言えなかったことを、華が言ってくれた。
 私は悶絶中です。


「い、いたずらにしたってやりすぎよ……!」
 口元を抑える甘利。ちょっと吹き出してしまったのかもしれない。しかしそんな中、風和だけは、「これ美味しいです」と笑っていた。
「へえ。薬師寺さんはわかってるね。ドクターペッパーは癖になるんだ」
「確かに癖になるお味をしてますね……。もう一杯いただけますか?」
「了解」
 そんな風に、沖田さんが風和のコップにドクターペッパーを注ぐ。
 なんだか執事とお嬢様みたいに見えたのは、ないしょの話。
「居残り部、気に入ったよ。やっぱり正式入部させてもらうことにするよ」
 沖田さんの言葉に、若干とんでもないモンスターを引き入れちゃったなって思ったのも、やっぱりないしょの話です。

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